無能という言葉はアテにならない

2020年10月16日金曜日

システム業界問題 閑話

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SNSなどでIT業界関係者の言葉を聞いていると「○○できない奴は無能」「SESで使える奴は10人に1人ぐらいで後は使えない」と言った具合にITエンジニアやプログラマーに対する罵詈雑言が絶えることがない。

また、同時にマネジメントや経営に対する罵詈雑言も絶えることがない。

IT業界は「経営や管理層」と、「現場の技術者」との間の罵り合いが常態化している世界である。

 

もちろん全てがそうなっているわけではない。

良心的な経営者や管理職も沢山存在するだろう。

 

ただ、少なくない割合で「技術者を見下し罵る経営者や管理職」と「会社や管理職などを潜在的に憎む技術者」の厚い層が存在する業界であることは間違いない。

 

経産省のDXレポートなどを読めば、IT業界が多くの問題を抱えた業界である事は、既に政府レベルで把握されている社会問題である事が分かる。

 

ブログ記事一つだけで大きな社会問題を扱うのは無理なので、この社会問題が存在する事を前提に、IT業界で非常に良く使われている「無能」という言葉について語ってみたいと思う。

 

「無能」という言葉には「都合の悪い奴」という以上の意味は無い

 

有能か無能かという判別に明確な基準はない。

高学歴の人物は学力に優れているだろうし、学者は学問の知識に秀でているだろう。

では「高学歴者」や「学者」は無条件に「優秀な人」と評価できるだろうか。

商人や庶民の常識から考えて、「その考え方は違う」と考えると思う。

「優秀な人」という評価は「どんな仕事をするか」と「その結果を受け止める人の立場や都合」によって個々に違うからである。

同様に「優秀な人」の鏡合わせの「無能な人」という言葉の定義もその人の立場によって個々に違う。

 

ヘンリーフォードの場合

 

例えば安価な自動車を生産して、流れ作業で高い生産性を実現して、高賃金で労働者を雇用したヘンリーフォードのような人物は、それまで高価な自動車を販売していた競合他社や、馬車で生計を立てていた事業者に取っては「バカヤロー」に他ならない。

また、低賃金で労働者を雇用していた事業主に取っても、労働者の賃金水準が上がって有害な存在になっただろう。

彼らはヘンリーフォードを「優秀な人」とは評価しないだろう。

たぶん様々な罵声を浴びせていたと思う。

その中には「無能」という言葉もきっと含まれていたと思う。

そんな細かい記録は残っているわけがないが。

 

時代は異なるが、19世紀英国では赤旗法(あかはたほう)が制定され事実上は馬車運用業者の利権を守った為、自動車産業の発達を妨げ経済の没落を招いた。

馬車運用業者から見て自動車産業は有害なモノだった事が分かる。

 

安価な自動車を購入する消費者と、高賃金で雇用される労働者の立場から見れば間違いなくヘンリーフォードは「優秀な人」である。

馬車運用業者から見れば無能で有害な人である。

少し前の時代のIT系事業者のように。

 

グローバル経済の場合

 

少し前までグローバル経済が推奨され、海外の安い労働力で服飾など安い工業製品が生産流通する事が当たり前になっていた。

しかし、この状況は日本人労働者の人件費を下落させる効果を生み、失業率を増加させる圧力が掛かる。

一方、企業経営者の立場から見れば、安い人件費で海外の労働者を雇えるので、歳出を減らし利益率を向上させることができる。

 

日本人労働者の立場から見ればグローバル経済は「悪」であり、そんな政策を推奨する政治家や経営者は「無能」である。

しかし、経営者の立場から見ればそれは「優秀な人」である。

ではどちらが正しいのだろう。

 

正解は「国益」の視点に立った見解だと思う。

GDPが増える政策は「国益」の視点に立てば「善」であり「優秀な人」の選択である。

GDPが減る政策は「国益」の視点で「悪」であり「無能な人」の選択である。

 

現在の日本政府の自由貿易の選択は、TPPや日欧EPAや日米FTAなど限られた国との関税障壁の撤廃のみ認め、それ以外の国に対しては関税障壁を維持している。

また、外国人労働者の流入は入管法改正により規制強化されており、その流入は大きく制限された範囲でしか行われない。

TPP加盟国は半数以上は先進国で、人件費の安い国はベトナムやマレーシアなど僅かな国である。

しかもこれらの国は皆成長路線にあり、10年もすれば人件費の高い国ななる可能性が高い。

つまり現在の日本政府の自由貿易路線は「グローバル経済」とは別のモノである。

強いて名付けるなら「ブロック経済」と呼ぶのが相応しいと思う。

 

これは「日本人労働者」の視点とも「経営者」の視点とも異なる。

そしてこの両者の視点はどちらも「国益」の視点に立てば「無意味」である。

「グローバル経済」論を展開する政治家などに対して「日本人労働者」や「経営者」の都合で語る「優秀」「無能」という評価は、「国益」を重視する国民視点で見れば、あまり価値のない評論である。

 

転職や起業経験者の話

 

転職経験者の話を聞いていると、「最初に勤めていた会社では無能と呼ばれて評価されなかったが、転職したら同じ仕事をしているのに高く評価されるようになった」なんて話はザラにある。

起業経験者の話を聞いていても「サラリーマン時代は無能と言われて評価されなかったが、事業を始めたら高い収益を達成出来た」という話もザラである。

私の印象でもサラリーマンという働き方は、フリーランスの様な小規模事業主より難しい働き方に思える。

むしろ環境に合わせる事が苦手な人ほど小規模事業主になった方が働き易いのではないかと思う。

異論は否定しない。

 

これは、「優秀」「無能」という評価は単に所属している会社にとって「都合が良い」人を「優秀」と評価し、「都合が悪い」人を「無能」と評価しているだけだという事だ。

普遍的に「優秀」「無能」という基準はない。

社会の害悪でしかない「コンピュータ犯罪者」も、IT系セキュリティ企業に就職すれば「優秀なエンジニア」である。

 

屋台でたこ焼き販売して僅かな収益しか上がっていなくても、歳出を抑えて黒字会計を実現しているのなら、事業者としては「優秀」である。

親が立派な大企業の経営者で高学歴のサラブレッドの二代目社長でも、赤字経営を続けて親の作った会社を実質身売りすることになるようなら、事業者としては「無能」である。

 

世間は「学歴」とか「経歴」とか「出自」とか、結果と関係無いどうでも良い属性に拘りすぎて本質を見失っているケースが多い。

 

職種によっては専門知識が必要な仕事も多いので、専門性や専門教育や専門実務経験を否定するものではないが、専門性を必須とする仕事がそんなに多いだろうか。

一部の仕事にすぎないと思う。

 

また、雇用する者される者の協調による仕事が失敗した場合、多くのケースで「雇用される者が無能」と評価される事が多いが、第三者視点で見れば「雇用する側」と「雇用される側」のどちらが悪いかは分からない。

どちらの可能性もあるし、責任の所在から考えて事業の失敗の責任は事業主に帰属する為、「雇用される者が無能」という評価も事業主としての責任放棄に見えて、私は素直に納得できない。

 

ITエンジニアの評価

 

20年ぐらい前までプログラマーやITエンジニアなどの職種は馬鹿にされ、虐げられる職業だった。

優秀なITエンジニアは海外資本の企業などに就職して日本起業に見切りを付けてしまっていた。

Windows95 開発のチーフアーキテクトが日本人であることや、iOSのフリック入力の開発者が日本人である事は有名な話である。

ブロックチェーンの技術的始祖であるピアツーピア(P2P)技術の最初の開発者も日本人である。

この人は京都府警に訴えられて最高裁で無罪判決を勝ち取ったが、その後病死している。

とにかく日本社会は長い間、プログラマーやITエンジニアを不当に虐げてきた経緯がある。

 

インターネットに対する評価も日本ではとても低かった。

「空っぽの洞窟」などとその価値を貶められ、インターネットを主力にビジネスする企業など胡散臭い会社と評価される状況が長く続いた。

 

ソフトウェアに対する評価も低く、バッケージをノンカスタムで導入せず、必ずカスタマイズするか、一から自社専用システムを開発するケースが多く、ソフトウェア企業が中々日本では成長しなかった。

 

しかし、最近になって状況が変化してきており、海外との競争上一々自社専用システムを開発していたら経費の面で不利になるので、バッケージやSaaSをノンカスタムで導入する企業が増加し、ソフトウェア企業が日本でも成長し始めた。

 

コロナ禍など感染対策を実施しながら経済活動を再開することなどインターネットがなかったら実現できなかった。

今はインターネットを否定する者などいないだろう。

 

雇用統計などを見る限り、情報通信業界の雇用はコロナ禍の中でも減少していない。

むしろ僅かに増加している。

 

今は未経験からプログラマーやITエンジニアになりたがる人々が溢れている。

20年前に馬鹿にされ、虐げられる職業だった状況と比較すると、本当に「人の評価」というもののいい加減さに呆れるばかりだ。

 

「優秀」「無能」などと言う評価ぐらいアテにならないものはない。

 

与えられた資源を使って価値を作るのが事業

 

事業主の役割は「付加価値の創出」であり、付加価値の対価として報酬が発生する。

資本主義というものは自然界に労働を投資して資本を増加して蓄積するものなので、存在する資源を活用して付加価値を創出するしかない。

「資源が不足している」「資源の質が悪い」と嘆いても付加価値は創出できない。

事業主が使える資源は国土や国家によって供給される資源しかない。

海外から資源を買ってる事はできるが、その対価は国土や国家に提供された資源で作り出した価値の対価なので、同じ事である。

 

国土や国家によって供給される資源は、天然資源やインフラの様な物質資源もあるが、労働力や文化や知識・智惠など無形の資源も多数存在する。

 

事業主というのは、この国土や国家によって供給される資源から、付加価値を創出するしかなく、総資源に対して「資源が不足している」「資源の質が悪い」と嘆いても意味が無いのだ。

もちろん、総資源の中からより質の良い資源を選び、選択して活用する事は可能である。

しかし、この事は他の事業主でも同じであり、より資本力の大きい事業主の方が良い資源を確保しやすいのも、現実である。

 

事業主の側から労働者に対して「あいつは使えない」・「無能」という評価も、労働者からの「会社や管理職に対する不満」や「無能」という評価も、その意味は「自分にとって都合が悪い」以上の意味はなく、そこに普遍性はない。

 

誤解のないよいに言っておくか「不満や文句を言うな」と言っているわけではない。

むしろ「課題の発見」を促進する意味で不満や文句は言った方か良いとさえ思う。

ただ、その「無能」という評価は必ずしも信頼できるものではないという意味だ。

 

上からも下からも「無能」という声が上がるのは体制が間違っているから

 

ITエンジニアの9割が「無能」と評価され、マネージャーや経営者の9割が「無能」と批判されるとしたら、その会社やプロジェクトや業界は、基本的な体制に問題があると考えるのが、正しい考え方だと思う。

 

労働者と経営者と管理職、何れも「国土や国家によって供給された資源」であり、互いにこれを活用できないのであれば、「資源が不足している」「資源の質が悪い」と嘆いても付加価値は創出できない。

 

繰り返すが、総資源の中からより良い資源を選ぶ事はできる。

 

しかし、繰り返し選んでも選んでも良い資源に巡り合えないのなら、体制やビジネスモデルに問題があると言わざる得ない。

 

「無能」という声が繰り返し上がるのなら、体制やビジネスモデルの方を見直すべきだと思う。

 

また、上手くやっている会社や業界はどこかにあるので、別に今所属している会社や業界に拘る必要はないと思う。

もう少し体制やビジネスモデルの方に問題がないか考えてみるべきだと思う。

 

 

今日、言いたいことはそれだけです。

 


「人間関係は良い誤解か、悪い誤解」

「イイ奴とは自分に都合のいい奴である」

立川談志


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オッサンです。実務経験は Windows環境にて C#,VB.NET ,SQL Server T-SQL,Oracle PL/SQL,PostgreSQL,MariaDB。昔はDelphi,C,C++ など。 趣味はUbuntu,PHP,PostgreSQL,MariaDBかな ?基本無料のやつ。

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