無行と有行 - 個体差に関する智惠

2020年9月13日日曜日

閑話 道徳常識

t f B! P L

 今日もSNSでは「上司か無能」「部下が無能」「顧客がバカ」「取引先担当者が日本語通じない」など、コミュニケーションの問題を原因とする不満・愚痴・批判・文句で溢れている。


私も、いつも同様の不満・愚痴・批判・文句をTLに垂れ流している。


以前もブログに書いたが、私はSNSなどに置いて不満・愚痴・批判・文句を主張する事を悪いことだとは思っていない。


むしろ不満・愚痴・批判・文句を通じて、社会のどこにどんな課題や障害・問題があるか分かって有意義な情報ですらあると思っている。


だから「不満・愚痴・批判・文句ばかり言ってないで、もっと建設的な事を言いなさいよ」

という意見を言う人がいれば、

「こいつバカじゃねぇの ?」と思う。


「建設的な行為」というのは「問題を解決する」行為である。

問題は解決する前に「発見」しなければ解決できない。

何が問題か分からなければ解決しようがないではないか。


問題を発見するには

「自分で困難を経験して社会問題を発見する」方法と

「他人が困難に遭遇した体験を聞いて発見する」の二通りしかない。


困難というのはだいたいは「失敗」である。


自分で失敗できる回数には肉体的限界がある。


だから「他人の困難や失敗の経験」を参考にした方が効率よく課題を発見できる。


その為には、SNSなどに置いて不満・愚痴・批判・文句を見聞きした方が効率が良い。


もちろん自分でも言う。


もう一度言うが「文句ばかり言ってないで、もっと建設的な事を言いなさい」という奴は問題解決に興味の無い怠け者であり、考えも無く現状維持したいだけのバカである。



例外として名誉毀損や侮辱や嘘を発信するのは違法だ。

これはやってはいけない。



前フリ終わり。


ここから本題に入る。



個体差に対する理解


しかしだ、人の不満・愚痴を聞いていて、そして自分の経験からも考えて、多くの人が「衝突しなくても良い場面で衝突している」と思っている。


そのかなりの比率を占めていると思われる問題に「人間の気質的な個体差に対する理解の欠落」があると思う。


単純な例としては世界は「右利き」が当たり前である前提で設計されている。

「左利き」の人達には生活し難い場面はまだ多いようだ。


食事の作法、ドアの取っ手の向き、ハンドルのサイドレバーの位置、ハサミの仕様、何もかも「右利き」合わせて設計されている。

当然「左利き」の人には日常生活でもコントロールの苦手な「右手」を酷使しなければならない。


「左利き」は11%ほどいると言う。


他にも多数派ではないため、生活に不便を感じたり、周囲に理解されない個性や気質を持って生まれてくる人々も沢山いる。

内向型・夜型遺伝子・HSP・同性愛者・色覚障害など沢山ある。


内向型は33%、夜型遺伝子は21%、HSPは20%、同性愛者は8%、色覚障害は5%(男性のみ、女性は0.2%) など決して人口が少ないわけではないにも関わらず、「気質が理解されない少数派」に追いやられている人々は多い。


こういった社会的に理解されない気質を持っている人は、周囲の人々と衝突したり、組織になじむのが難しかったりする。

発達障害も同様だ。


しかし、これらの「気質」の問題はタダ単に本人と周囲の人々の「人間の代表的気質」の知識が乏しいから、衝突しているだけである。


「気質」というのは遺伝子に決められた個体の性質なので、本人の努力で変えられるものではない。


気質の変更を権力や同調圧力で強要する行為はただの「暴力」である。


HSP・内向型・同性愛者・色覚障害・夜型遺伝子など、その性質と存在を理解してしまえば、容易に共存可能な気質である。

あまりにも有り触れているので、誰でも近くに該当者がいるはずであり、合ったことがあるはずである。


これらの 有り触れた気質を否定する人がいるのなら、その人の社会性や協調性に問題があると言わざる得ない。


繰り返すが、この有り触れた気質を理解して、共存するのは容易な事だ。

できないのは「知らないだけ、やらないだけ」であり、「検索もしない怠け者」でしかない。


発達障害よりはるかに理解しやすいはずである。



無行と有行


前文が長くなってしまったが、これが今日の本当の本題だ。


人間には無行(むこう)と有行(うこう)という気質がある。


人間は必ず無行と有行のどちらかの気質に分類できる。


無行というのは「考えて深く理解する前に、とりあえずやってみる」性格気質の事である。


有行 というのは「よく調べ、よく考え、自身が納得してからでなければ、取りかかれない」性格気質の事である。


作業や仕事への取りかかり方の気質的な違いである。


気質なので、努力で変更する事はできない。


これは仏教の教えで科学ではない。


しかし、実際に皆さんも経験的に、自分も含めて周囲の人々に無行と有行に分類できる人々は多いと思う。


そしてその性格が変えられない事も。


仏教では無行と有行のどちらが正しくどちらが悪いとは教えていない。


実際、理屈で考えればどちらでも良い事はわかるはずだ。


無行は理解する前に行動する。

しかし、初めてやる事は必ず失敗する。

失敗したら無行でも、一度中断してなぜ失敗したか考える。

そしてまた、行動する。

これを繰り返す。


有行はよく調べて考えて理解してから行動する。

しかし未経験の理解などまやかしなので、行動してみるとやはり失敗する。

失敗したらなぜ失敗したか考える。

そして自分で納得したらまた行動する。

これを繰り返す。


無行は、行動する・考える・行動する・考える・行動する・考える・行動する・考える、を繰り返す。

有行は、考える・行動する・考える・行動する・考える・行動する・考える・行動する、を繰り返す。


長期的には同じなのだ。

周期の長い短いの違いはあるが、それはどちらでも同じ。


走るとき「右足から踏み出すか」「左足から踏み出すか」の違いと同じで、どちらでも良いのだ。


そしてここが重要なのだが、無行と有行は気質であり変更できない。


無行と有行が共同作業するとき、互いの気質に対する理解が欠如していて、無駄に衝突して人達は多い。


上司と部下、に例えて考えてみて欲しい。


上司が無行、部下が有行の時、上司が部下に対して「何をモタモタと考えているんだ ! さっさと作業を始めろ !」と怒っている場目は現実に少なくない。


逆に上司が有行、部下が無行の時、上司が部下に対して「どうしてお前はよく考えないで、仕事をするんだ ! もっとよく考えてから作業を始めろ !」と怒っている場目も現実に少なくない。


これは単に部下が、自分とは「無行と有行」の気質が違う事を知らない事による衝突で、ただ自分の無智で苦しんでいるだけだ。


前者の部下が有行のケースは、部下が納得するまで説明して、本人が納得して作業に取り掛かるまで待てば良いだけである。


後者の部下が無行のケースは、部下に取りあえず作業をやらせてみて、必ず躓くので、躓いたら説明して失敗した原因を考えさせれば良い。


最初だけ変則的だが、あとは同じサイクルを繰り替えすだけである。


何も難しいことではない。


しかし、こんなくだらない事で、無駄に衝突して怒っている人は世間に多い。


怒っている人は自分が苦しいだけので勝手に苦しめば良いが、巻きこまれる周囲の人間には迷惑である。


検索して分かる程度の簡単な智惠ぐらい持っておきたいものである。


とりあえず「無行と有行」の知識があるだけで、少しだけ貴方は苦痛を免れるだろう。


少しだけだが。




つまんない事で苦しむのは止めた方が良い。

避けるのは簡単だ。




言いたいことはそれだけ。


このブログを検索

Translate

人気の投稿

自己紹介

自分の写真
オッサンです。実務経験は Windows環境にて C#,VB.NET ,SQL Server T-SQL,Oracle PL/SQL,PostgreSQL,MariaDB。昔はDelphi,C,C++ など。 趣味はUbuntu,PHP,PostgreSQL,MariaDBかな ?基本無料のやつ。

QooQ