「人生詰んでる」という言葉に感じる違和感

2019年9月15日日曜日

システム業界問題 閑話

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少し前から「人生詰んでる」という言葉を良く聞くようになった。

使い方としてはITエンジニアなどの場合、
「SESの客先常駐で末端の下流工程だけやって40代になっても上流工程も顧客折衝もできなければ人生詰んでる」
という使い方をする。

個人的にはこの状況はあり得ない話だと思う。
そもそも現在のSESという形態の事業は精々15年程度の歴史しか無い。
多重請負体制が広く広まったのも15年ぐらい前で、それ以前は元請けが上流から下流まで全て行っていた。
SESや多重請負といった体制が20年も30年も続くはずがない。
既に崩壊の兆しは現われている。
だから最初にSESで多重請負の末端職務についたとしても35歳か37歳ぐらいになる。
個人的にはIT業界でそんなに長く一つの職種で働いている人はいないと思う。
待遇が良ければ同じ仕事を続ける人はいるが、SESや多重請負の末端はお世辞にも待遇が良いとは言えない。
大半の人間が別の業態へ転職するだろう。
他に沢山選択肢があるのにSESで働き続けるわけがない。

私も若い頃に多重請負の仕事はなかった。
金融業など大手ならあったのかもしれないが、当時大半の受託開発は元請けが開発していた。
40代以上なら若いときに設計を行っているはずだ。
「設計だけ行うSE」というのが昔はなかったのだ。
このあり得ない前提で「人生詰んでる」と定義することに何の意味があるのか分からない。

その話は本旨ではない。

他に、婚活などで年齢が40代を超えているとか、年収が低いとか様々な「中流正社員」の基準に満たなければ「人生詰んでる」ことになるようだ。

言葉の定義が明確になっているわけではないが、「人生詰んでいる」という言葉の定義は、
「一般的な中産階級サラリーマンのレールから外れて元に戻れない人生を歩んでいる」という意味のようだ。

この定義だとロスジェネ就職氷河期で正社員の雇用にあり付けず、40代で非正規雇用の実務経験しかない人々は「人生詰んでる」ことになる。

離婚2回ぐらいすると「人生詰んでる」ことになるかもしれない。

高校中退で学歴が中卒ぐらいだと初めから「人生詰んでる」ことになる。

「人生詰んでる」という概念は何の役に立つのか ?


「人生詰んでる」という言葉を聞いたとき最初に思ったのは、この考え方は何の役に立つのか ? ということだ。

これは「人生詰んでる」人と「人生詰んでいない」人を区別することに価値があるということになる。
それは、いったいどんな価値だろう ?

最初は権力者や現在の社会の既得権を持つ者にとって都合が良いから「人生詰んでる」人と「人生詰んでいない」人を区別しているのかとも思った。
しかし、それはあり得ないと思う。
例えば権力者や財界人にとって「人生詰んでる」人を他と区別して何の利益になるだろう。
政治家や官僚から見れば「人生詰んでる」人が多数存在していれば社会保障など新たな財政負担の増加に繋がるからむしろその存在を無視したいはずだ。
財界人やお金持ちならば「人生詰んでる」人と「人生詰んでいない」人を区別することに意味がない。
お金持ちから見ればどちらも庶民であり、中間層か相対的貧困層なので、どちらも同じような存在である。
年収1000万以下の人は支払う税金より受け取る社会保障費などの方が多いそうだ。
だから財界人は消費税を導入したがる。
消費税は金持ちの負担が軽くなるからだ。

ということは金持ちや財界人からみれば、年収1000万以下と以上を区別することに価値があり、「人生詰んでる」人と「人生詰んでいない」人を区別することに価値はない。

では誰にとって「人生詰んでる」人を区別するメリットがあるのだろう。

それは「現在の価値観を維持したい人達」が「現在の価値観を逸脱した人々」を社会的に排除する為に、「人生詰んでる」という言葉で差別しているのだろう。

実際に「人生詰んでる」状態になっていてもいくらでも生きていく術はあるものだ。

40代まで下流工程しか経験していないというのは、先に説明したようにあり得ない。
多重請負の末端SESでプログラミングだけ行うという働き方は、歴史が浅く20年も続いていないからだ。
今40歳以上のプログラマーなら若い頃に設計と開発を両方やっているはずだ。

婚活などで40歳を超えているとか年収が低いとかも、別に結婚しなければ良いだけだ。
ある程度の年齢を過ぎると子供は育てられないので、40歳を超えているとどうせ子供は作らないはずだ。
子供を作らないのなら別に結婚しなくても良いだろう。
自由恋愛や同棲(事実婚)で良いはずだ。

「一般的な中産階級サラリーマンのレールから外れて元に戻れない人生を歩んでいる」ことが何だというのだろう ?
商売でも始めれば良いではないか。
やりやすいところでは「受託商売」と「店舗商売」があり、これらは誰でも出来る商売だ。

ITエンジニアならクラウドソーシングなりエージェントなり色々なサービスやプラットフォームで受託仕事を受注することはできそうな気がする。
多少時間はかかると思うが。

店舗商売も「えらいてんちょう」著書の「しょぼい起業で生きていく」に描かれたように飲食店を安値で借り、そこに住んで住居費を浮かせ、歳出を最小化することで、少ない歳入でもゆとりを持って生活していく方法が書かれている。


他にも資本金60万円で住宅地にアパートを借り、そこを店舗としてネイルサロンを開いた女性もいるそうだ。
予約制で一度に一人しか施術しないので、部屋には一人しか客がいないため、ペットの持ち込みが自由にでき、他社と差別化できたそうだ。

「個人で商売ができる」という前提に立つと「人生詰んでる」の土台になる概念が成立しなくなる。

雇用が流動しロスジェネ層が何百万人もいる状況を社会的に打破していくことを考えると、個人で商売することを推進していくしか考えられない。

従来の「大学か短大を卒業して正社員として就職し、定年まで勤めて退職し、老後は悠々自適の年金暮らし」や
「30歳ぐらいまでに結婚し、ローンで家を買い、子供を作り教育を受けさせ大学まで卒業させて、あとは死ぬまで夫婦で戸建て暮らし」といったロールモデルで生きられる人は少数派だと思う。
また、数も減少しているだろう。
結婚しない人も増えているし、子供を作らない、作れない人も増えている。
人口減少したら不動産価格は下落するので家を買う資産価値は失われつつある。
(資産価値の下落を便益が上回るのなら買っても良いと思う)

そもそも大企業を含めて終身雇用が完全に失われるので長い人生、ずっと正社員で生きていけると思う方が非現実的だ。

「人生詰んでる」という言葉は昔の中産階級のロールモデルを今でも求めている人々が、現実社会の変化を拒絶する為に使用している概念ではないだろうか。

繰り返しになるが「人生詰んでる」という言葉を聞いても「だからどうした」という言葉しか浮かんでこない。


最後に松下幸之助の名言をいくつか載せておく。

「人の心は日に日に変わっていく。そして、人の境遇もまた、昨日と今日は同じではないのである。」

「失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに、原因があるように思われる。
最後の最後まで、あきらめてはいけないのである。」

「こけたら、立ちなはれ。」


どうだろう。

「人生詰んでる」という言葉を使っている人々との間に大きな人間性の差を感じないだろうか。

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オッサンです。実務経験は Windows環境にて C#,VB.NET ,SQL Server T-SQL,Oracle PL/SQL,PostgreSQL,MariaDB。昔はDelphi,C,C++ など。 趣味はUbuntu,PHP,PostgreSQL,MariaDBかな ?基本無料のやつ。

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