偽道徳と伝統道徳(教育勅語)を検証してみる

2019年3月19日火曜日

道徳常識

t f B! P L

「人々を不幸にする偽道徳」で語ったように私は現代の道徳観念に強い疑惑の念を持っている。

その道徳観念の殆どが「親・教師・管理職・経営者」といった上位者の
「面倒なトラブルの調停などしたくない」
「何故、何、などの疑問に答えるのが面倒くさい」
「管理者責任を負いたくない」
という上位者の怠慢を満たす為に作られた「偽道徳」だからだ。

しかし、その道徳が本物か偽物かを判断する為には「本物の道徳」を知らなければ判断できない。
子供の頃から「偽道徳」で汚染されてきた人間には、その道徳が本物か偽物か判別できないのだ。

そこで「本物の道徳」について考えてみたいと思う。
厳密に言えば完全に正しい本物の道徳というものは定義できないと思っている。
個々人ごとに身体や脳の資質も違うし、環境も違う。
だから今回は昔から伝わっている伝統道徳について検証してみたい。

日本人にとって伝統的な道徳観念は「慣習法」と「戦前道徳」と「仏教道徳」と一部少数派の「キリスト教道徳」になると思う。

「慣習法」と「仏教道徳」については「人々を不幸にする偽道徳」で簡単に解説したので今回は省略する。
「キリスト教道徳」については一部少数派にしか認知されて無く大勢に影響がないので省略する。

今回は「戦前道徳」について考えてみたい。
「戦前道徳」の中核をなすのは左翼に非常に評判の悪い「教育勅語」である。

この記事では「教育勅語」を私なりに熟読してみたい。

誤解の無いように言っておくが、私は学校教育に「教育勅語」を復活しろとは言うつもりは無い。
私は「道徳観念を完全に一つに統一するのは不可能だ」と思っており道徳教育に置いても、仮に道徳教育するにしても少なくとも五つぐらいの道徳観念を教えるべきだと思っている。
「民主主義の道徳」「資本主義の道徳」「保守思想」「リベラリズム」「近代合理主義」の五つだ。
「この五つの道徳観念の中から個人の自由判断で正しいと思う道徳を選びなさい」と指導するのが良いと思っている。

教育勅語は保守思想に含まれる。

私は正直なところ教育勅語の内容は共同体主義と自由主義(リバタリアニズム)の対立軸から考えて、共同体主義に偏りすぎていると思うし、かなり時代遅れになっていると思っている。

しかし、左翼が言うほど問題のある内容ではない。

教育勅語の作られた時代は帝国主義時代で日本は国家として欧米列強と対峙して生き残る為に必死だったので、共同体主義・国家主義に偏るのは仕方が無いと思う。

だが、現代日本は当時のような弱い国では無いし、欧米列強は今では同盟国に近しい存在だ。

現代日本はTPPなど国際的な秩序を構築する役割を担う国になっている。

当時と同じ道徳観念がそのまま通用するとは限らない。
昔の道徳観念を否定するつもりは無いが時代と状況の変化は意識すべきだと思う。

今回はあくまで「偽道徳」を評価する為の数ある基準の一つとして「教育勅語」を検証したい。

教育勅語を熟読してみる


まず前文を読む。


朕󠄁惟ふに、我か皇祖皇宗、國を肇󠄁むること宏遠󠄁に、德を樹つること深厚なり、我か臣民、克く忠に克く孝に、億兆心を一にして、世世厥の美を濟せるは、此れ我か國體の精華にして、敎育の淵源、亦實に此に存す。


これは過去の話だ。

「現在の日本は長い歴史を紡ぎ、比較的平和な社会を作り、比較的対立も無くほどほどに結束していて、先人は色々優れた成果を後世に残して、結構良い国だよね。
良い国になったのはこの国の国柄のおかげなので、教育もこの良い国柄を伝えていかなければならないんじゃないかと思うよ」

と言っているのだ。
かなり強引な訳だが。
(文句有るなら自分で訳せ)

第一に人間関係や組織の中での道徳について教育勅語を読んで見たい。


 爾臣民、(日本国民の皆さん)
 父母に孝に、(親に孝行しなさい)
 兄弟に友に、(兄弟は友人になりなさい)
 夫婦相和し、(夫婦は互いに親しみ合いなさい・調和しなさい)
 朋友相信じ、(同門と同志はお互いを信じなさい)
 恭儉己れを持し(常に他者に対してうやうやしくて、自己はつつましやかでいなさい)
 博愛衆に及ぼし、(人類全てを平等に愛するよう努力しなさい)
 <以下略>



日常的な人間関係に関する道徳観念はこれだけである。
以降は仕事や、国家や公と個人の関係について語っている。
今は人間関係論だけなので割愛する。
教育勅語で教えられている人間関係論は以下のモノしかない。

「親孝行しなさい」
「家族と仲良くしなさい」
「同じ考え方の同志とは信頼関係を作りなさい(仲間を大切に)」
「謙虚の美徳」
「博愛」

逆に考えるとこれ以外の道徳観念は伝統的道徳観念の中にはないと言うことだ。

教育勅語の続きはこうだ。


 學を修め(学問を学びなさい)、
 業を習󠄁ひ(実務を習得しなさい)、
 以て智能を啓󠄁發し(智惠を付けなさい)、
 德器󠄁を成就し(徳行(道徳を満たす行い)と器量(才能)を望み成し遂げるように)、
 進󠄁て公󠄁益󠄁を廣め(自由意志で社会の役に立つ行為を広め)、
 世務を開き(社会の中の自分の役割を作り)、
 常に國憲を重し(憲法(国の法則)を重視し)、
 國法に遵󠄁ひ(法律を尊重し)、
 一旦緩󠄁急󠄁あれは、
 義勇󠄁公󠄁に奉し、
 以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すへし。


「 一旦緩󠄁急󠄁あれは、義勇󠄁公󠄁に奉し、以て天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すへし。」
の部分は左翼が「徴兵制と軍国主義の復活だー」と騒いでいる一文だ。
ちゃんと読めば分かると思うが、「義勇󠄁」というのは志願を意味し「義勇󠄁公󠄁に奉し」自分の自由意志で社会の役に立つことを自己の判断で行いなさいという意味だ。

「天壤無窮󠄁」が永遠に変わらないもの、「皇運󠄁」は皇室及び国家の将来の運命、「扶翼󠄂」は助け守ること。

「天壤無窮󠄁の皇運󠄁を扶翼󠄂すへし」は「日本国の現在の体制と国体が永遠に続くように国民は助け守ること」という意味だ。

徴兵制と軍国主義とはまったく関係無いし次元の違う話だ。
特に教育勅語を弁護する気は無いが、少なくとも「個人の自由意志を否定して政府の権力に服従しろ」などとは書かれていない。
むしろ個人の自由意志を尊重する内容だ。
「上の命令に従いなさい」などと個人の自由意志を否定する教えは無い。
「父母に孝に、(親に孝行しなさい)」は明らかに指揮命令権は子供(自分)の側にあり「親の指示に従いなさい」という意味では無い。
「能動的に自分(子供)の判断で親の幸福に貢献しなさい」という意味だ。

少なくとも原文を読む限り、教育勅語の道徳の教えは全て「指揮命令権は自己にある」ことが分かると思う。

戦前の教育の現場でどのように教育勅語が解釈運用されていたかは知らないが原文の意味するところは左翼の言うような全体主義的で個人の自由を侵害するような危険な内容ではない。

後文も一応掲載する。


是の如きは、獨り朕󠄁か忠良の臣民たるのみならす、又󠄂以て爾祖󠄁先の遺󠄁風を顯彰するに足らん
斯の道󠄁は、實に我か皇祖皇宗の遺󠄁訓にして、子孫臣民の俱に遵󠄁守すへき所󠄁、之を古今に通󠄁して謬らす、之を中外に施して悖らす。
朕󠄁、爾臣民と俱に拳󠄁々服󠄁膺して咸其德を一にせんことを庶󠄂幾󠄁ふ。


要するに

「以上の心得は善良な日本国民として必要であり実践すれば先人の伝えた良き日本を継承することができるでしょう。
この心得は皇室も守り実践してきたのです。君民共に良き日本を後世に伝えていきましょう。
この伝統は人として過去も未来も海外でも通用する普遍的心得です。
まずはこの心得を私(天皇)も実践するから皆も実践してみてください。
同一の徳を実践できることを願います」

と言っている。

ここで注目に値するのが

「朕󠄁、爾臣民と俱に拳󠄁々服󠄁膺して咸其德を一にせんことを庶󠄂幾󠄁ふ」
(まずはこの心得を私(天皇)も実践するから皆も実践してみてください、同一の徳を実践できることを願います)

の部分だ。
「教育勅語の道徳観念は天皇陛下も同じ事を実践するから、国民も一緒にやりましょう」
と呼びかけている。

これは教育勅語の教えが「自己の自由意志で実践する」ことを教えていることを裏付けている。
「上の指示に従いなさい」という教えは成立しないのだ。
なぜなら天皇は国家の最高位の存在であり、天皇より上の地位は存在しないからだ。
天皇は上に従いようが無い。
(神は例外とする)

つまり教育勅語に代表される伝統道徳では誰にも服従しなくて良いのである。
全ては「自己の自由意志で実践する」のが正しいのだ。

この事実は、主に「上の命令に従いなさい」という考え方を潜在的に持つ「偽道徳」が教育勅語的には完全に間違った道徳観念であることを裏付けている。

教育勅語を復活しろとは言わないが内容ぐらいは把握しておくべきだろう


「偽道徳」がどこの誰によって作られていったのかは分からないが、偽物が作られる余地があったのは我々が「本物の道徳」を知らないからだ。

教育勅語が本物の道徳だとは言わないが、戦前の正当な伝統道徳であることは事実だ。

「本物の道徳」に該当するモノは他にもあると思う。

民主主義の道徳観念とも言える「市民政府論」や「法の精神」もそれに当たるし、あまり詳しくないが資本主義の道徳はスミス、マルクス、ケインズ、フリードマンの教義になるのではないか。
マイノリティーの社会参画を考えるにはリベラリズムが必要だろうし、テクノロジーの社会への適用を考える時は科学や技術の知識が必要になる。

道徳は一つに統一できないと思う。

だから道徳教育をもし行うのなら上記の複数の主要な道徳観念が存在することを伝え、その中から自由意志で選ばせるのが良いと思っている。

道徳教育が存在しないのは「偽道徳」が蔓延る余地を残すので賛成できない。



教育勅語については昔この本を読んだ。


「朕」の説明、「我ガ」の説明や
「皇祖皇宗、國を肇󠄁むること宏遠󠄁に」の解釈とその神話や歴史に基づく裏付けが延々と記載された、正に「教育勅語を徹底的に熟読した」書籍だ。

正直なところマニアックすぎてついて行けない。

また、俺には歴史の教養が無いので難しくて途中で挫折してしまった。

だからあんまりお勧めしない。
(だったら紹介すんな)

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オッサンです。実務経験は Windows環境にて C#,VB.NET ,SQL Server T-SQL,Oracle PL/SQL,PostgreSQL,MariaDB。昔はDelphi,C,C++ など。 趣味はUbuntu,PHP,PostgreSQL,MariaDBかな ?基本無料のやつ。

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