人々を不幸にする偽道徳

2019年3月17日日曜日

道徳常識

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突然だが日本人は小学生のころから
「皆と仲良くしなさい」
「ケンカしてはいけません」
「親や先生など目上の人には逆らってはいけません」
「自己主張してはいけない」
「騒ぎを起こしてはいけない」
「黙って言うことを聞きなさい」
「サボってはいけません」
「楽してはいけません」
「謙虚に振る舞いなさい」
.......
という具合に出自の不明確な道徳観念が山ほど教え込まれたと思う。

最近のマナー講師がデタラメなマナーを頻繁に吹聴するようになった。
「目上の人には『了解しました』と言ってはいけない『承知しました』と言わなければならない」
「上司や顧客に徳利で酒を注ぐ時は、注ぎ口以外から酒を注がなければならない」
などデタラメなマナーを乱造して不当に仕事を増やしているという。



私は何度か転職をしていて、尚且つ仕事柄客先で働くことも多かったので、様々な会社の慣習に触れることになった。
大半のサラリーマンは一つか二つの会社しか知らない為、その会社の常識が世界の常識だと思っている。
しかし現実には全ての会社の常識はその会社でしか通用しないローカルルールにすぎない。
「社会人マナー集」などのマニュアル本に掲載されている常識も実は一部の世界でしか通用しないローカルルールでしかない。
「社会人マナー集」に書かれているマナーは「営業職」にしか通用しない常識でその他の職種ではまったく通用していない。
例えば「名刺交換のマナー」にしても技術職でこのマナーを守っている会社は少数しか見たことが無い。
多重請負では名刺を渡してはいけないことも多い。
「服装のマナー」にしても「ワイシャツは下着なので顧客の前で上着を脱いではいけない」とかあるが、技術職はそもそもスーツを着用する習慣の無い会社が多いので、服装マナーを守りようが無い。
工場労働者の場合は全く異なる安全管理規則で生きているのでホワイトカラーの常識は殆ど通用しない。

つまり社会全体で通用する常識というものは存在しないと私は思っている。
ほぼ全ての人間が「社会全体で通用する常識」が存在すると勘違いしているだけだ。

工場の安全管理規則はキチンとした理由があって定義された規則であり常識なので良いのだが、大半の会社の常識は生産性を上げる上では有害なものが多い。
代表的なものでは先輩後輩といった「序列」の常識などは結構多くの会社に見られるバカな常識だ。
上下関係というものは元々「管理」の為に存在する。
一人の管理者が10人のメンバーを管理して、その管理者10人を上位管理者が管理して、その上位管理者10人をその又上の上位上位管理者が管理するというように、管理階層を形成して組織を統率する為に生み出されたものだ。
だから上位者には管理義務と責任が伴う。
しかし先輩後輩といった「序列」にはそのような役割や責任はない。
まったく無意味な「差別」でしかないのだ。
年功序列の時代なら先輩は経験値が高いので上位指導者としての役割を果たしていた側面があるが、IT業界のように雇用が流動化している業界では「序列」に意味は無い。
その組織では新入りでも業界経験は大ベテランでスキルも高いというケースはザラだ。
「序列」の常識に支配された組織では大ベテラン高スキルでも新入り扱いになる。
これでは直ぐにITエンジニアが辞めてしまい必要な人材を確保できないだろうが、まだこんなことやってる組織は多い。
ベテラン高スキルでも使っている技術の内容によって得手不得手がある。
技術が幅広く横に広がっている現状では優劣は固定しない。
序列は有害なだけだ。

企業社会に蔓延する「常識」や「慣習」には有害なものが多い。

道徳と慣習と常識は違う

道徳というのは本来「幸福になる為の方法論」であり規則や法律のように人々を拘束する律ではない。
例えば仏教道徳では「怒り」と「欲」と「不智(真理を知らないこと)」を悪徳とするが、これは「怒りと欲と不智」が心にあると本人が苦しむから無くした方が良いという「法則」を解説しているにすぎない。
法律のように強制しているわけではない。
そしてこの「法則」は通常は「自然の法則」のことである。
科学などがそれに当たる。
従って「道徳」を理由に人に説教したり行動を制限したり禁止したりするということは、道理に合わない行為なのだ。

慣習は道徳と違い、「自然の法則」とは必ずしも関係無く、その土地や社会で円滑に生活していく為の約束事である。
普遍性の高い慣習は「慣習法」と呼ばれ「法律」の根拠や上位概念と捉えられるが、慣習は事実上罰則の無い規則や法律である。
そしてこれも社会を円滑に活用して幸福に生きる方法論である。

常識というのは、人間が生きていく上で身についていく知識のことであり、別に規則でもなければ法律でもない。
常識で人を縛る、従わせるという発想が入り口から間違えている。
常識とは人工知能開発などで長年研究者を悩ませてきた「常識知」のことである。

つまり、
常識は「人が生きる為の知識」であり、
道徳は「幸福になる為の方法論」であり、
慣習は「社会システムの使用説明書」である。

どれも、人を支配し服従させるものでは無い。

人を支配し服従させる為の「偽道徳」

ではそれを踏まえた上で、最初の

「皆と仲良くしなさい」
「ケンカしてはいけません」
「親や先生など目上の人には逆らってはいけません」
「自己主張してはいけない」
「騒ぎを起こしてはいけない」
「黙って言うことを聞きなさい」
「サボってはいけません」
「楽してはいけません」
「謙虚に振る舞いなさい」

といった家庭や学校や会社組織で散々罵声と恫喝で植え付けられた道徳常識を検証してみる。

「皆と仲良くしなさい」は民主主義と人権を否定している

近代国家は「個人」の集合体を想定している。
個人には言論の自由や私的所有権、職業選択の自由など「人権」から派生する様々な権利が付加されており、その権利を保障しないと近代国家がシステムとして機能しない。

私的所有権を認めないと「資本主義」が成立しない。市場メカニズムによる資源の最適配分が満たされず国家が経済的に弱体化する。
元々、経済はスミスの「国富論」から始まることを忘れてはいけない。

職業選択の自由が無ければ産業構造の変化に国家が適応できない。
自由競争も成立しないので「資本主義」が成立しない。

言論の自由や表現の自由が無ければ民主主義が成立しない。
民主主義が成立しなければ公正な政府を維持できず、公正な市場も維持できない。
結局は国家が弱体化する。

妙な話かも知れないが「人権」を守らなければ「国家」が弱体化して、他国との競争に負けてしまう。

「皆と仲良くしなさい」は「言論の自由」を否定している。
「法治国家」も否定している。
自分の権利や所有権を守ることも否定している。

皆が集団で違法行為を始めたら、皆と仲良く犯罪を犯すのだろうか?
皆が労働法違反していたら合法になるのだろうか ?
皆が脱税していたら税金払わなくて良いのだろうか ?
皆がレイプしていたら、貴方も一緒にレイプするのだろうか ?

昔「赤信号皆で渡れば怖くない」というビートたけしの風刺を効かせたジョークがあったが、日本人の同調圧力を揶揄したものだ。

近代国家を構成する個人は法律を作る権利と義務を持つと同時に法律を守る義務を負う。
所属する組織が法律に違反するのなら、法律を守り声を上げ闘うべきなのだ。

「皆と仲良くしなさい」などと言う道徳は在ってはならないのだ。
「皆と仲良くしなさい」は人々の権利を奪い不幸にする偽の道徳である。

「ケンカしてはいけません」は自己の権利を放棄し、場合によっては死ぬ

人間にはズルして他人のモノを奪っていくものが多数派なのが現実だ。
所有権のハッキリしたものは奪ったりしないが、権利や義務や知的所有物などのように所有権のハッキリ見えないモノはわりと平気で盗んでいく。

SIer業界ではITエンジニアの労働力や技術料やソースコードの知的所有権などを顧客が平気で盗もうとするし、気を緩めると盗まれる。

例えば、仕様変更を無料でやらせようとする顧客は後を絶たない。
要件凍結という発注者責任を果たさずにプロジェクトを破綻させ、その損害賠償を被害者である受注者に請求したりする。
さすがにあからさまなモノは裁判に訴えられて、発注者が受注者に賠償金払うことになるが、小規模なものだと受注者が損切りしてしまうケースもある。

SIer業界では裁判など法律を盾に闘わないと生きていけない世界なのだ。
ビジネスというのは、市場のルールが法で定められ、ルールに従って利益を競うゲームである。
ゲームとは戦争の模型だ。

「ケンカしてはいけません」はビジネスというものを否定している。
会社の中でも同様である。
サラリーマンも成果を競っている。
「ケンカしてはいけません」は「働くな」と言っているようなモノである。

これも非現実的な「偽道徳」である。

「目上の人には逆らってはいけません」は管理者の怠慢にすぎない

親・教師・管理者・経営者など組織の管理を担うものはよく、「上の言うことを聞きなさい」という道徳観念を繰り返し吹聴してきた。
しかし彼らも人間であり、ミスを犯すこともあれば、汚職や不正を行うこともある。
人間は無条件に他人(親を含む)を信じてはいけないし、服従してはいけない、生きられなくなってしまう。
仕事の現場では管理者の仕事はチーム全体の業務が円滑に進むように環境や計画を整えるのが仕事であり、部下を服従させるのが任務ではない。
管理者が間違っていれば業務は障害にぶつかり停滞する。
現場のメンバーにはそれが分かるので当然、管理者に報告する。
この報告は管理者の過去の指示の否定になる。
管理者にとっては間違いを指摘されたことになる。
怠惰な管理者は「間違いの指摘」を受けたがらないモノも多い。
だから「親や先生など目上の人には逆らってはいけません」という偽道徳をでっち上げてゴミのようなプライドを守る為に組織の障害報告を隠蔽しようとする。

組織ではどんな場面でも管理者に服従してはいけないのだ。
組織の目的を成功させる為でもあり、メンバーが自分の身と権利を守る為でもある。

人間なのだから上下共にミスをするのも当たり前だ。
だから、仕事をしていれば議論も衝突も抗議もあって当然なのだ。
「目上の人には逆らってはいけません」は管理者の職務怠慢でしかない。

「自己主張してはいけない」も同様の管理者の怠慢にすぎない。

「騒ぎを起こしてはいけない」は職務と義務の放棄だ

最近、アイドルが暴行未遂の被害に遭ったとき、被害者であるにも関わらず「騒ぎを起こして申し訳ありません」と謝罪することになった。

悪いのは暴行加害者であるのは明白なのだが、何故か犯罪者への抗議より「騒ぎを起こした」ことの方が問題視された。
これは法治国家として異常である。
「騒ぎを起こしてはいけない」などという法律はないはずだ。
騒乱罪という罪はあるが、今回のケースにはまったく当てはまらない。


大体、個人として犯罪の被害にあったり、権利侵害を受ければ闘うのが個人の権利である。
家族など仲間が居れば、仲間に対する義務でもある。
「権利侵害を受けても闘うな」という組織や業界の主張は人権の放棄を要求しているのと同じである。
近代国家は人権に守られた個人によって成立しており「人権の放棄の要求」は国家の存在否定でもある。

「騒ぎを起こしてはいけない」という道徳観念は、極めて反社会的で反国家的で非道徳的な価値観である。

偽道徳どころか逆道徳である。

「サボってはいけません」「楽してはいけません」は自動化の敵

プログラマーの道徳観念に「健全なる怠惰」というものがある。

これは「プログラマーはできるだけ仕事をコンピューターにやらせて自分で仕事をしないように自動化する努力をするべきだ」という価値観だ。

現代はプログラマーだけではなくAIやロボットが発達してきており、そのうち半数以上の仕事がAIとロボットに任せられると言われている。
少なくとも機械化できる仕事は機械化しなければ、他者との競争で負けてしまうだろう。

「サボってはいけません」「楽してはいけません」といった「勤勉の美徳」は現代では有害な価値観にすぎない。

「勤勉の美徳」は「自動化の努力」に交換すべきだろう。

「謙虚に振る舞いなさい」は誰も幸福にしない

数十年生きてきて、経験的に言えば「謙虚の美徳」は生きる障害でしかなく、こんなもの守っていたら絶対に幸福にはなれないばかりか最悪、死んでしまう。

商売するなら積極的に自己や自社の長所をアピールしなければ誰も買ってはくれない。
理不尽な扱いや非難を受けたら、大声で反論すべきだ。
権利や命を奪われてしまう。

人に迷惑かけないように平和に生きられる世の中では無いのだ。
人生も商売も戦いである。
現実を無視した有害な価値観は排除すべきだ。

「謙虚の美徳」は「有害な道徳」である。

学校道徳・会社道徳の大半が有害な嘘だ

以上のように、家庭や学校・会社などで執拗に繰り返し恫喝・調教によって、家畜への焼き印のように頭に埋め込まれた道徳観念は大半が「道徳の本質」から外れた嘘であり、人を幸福にはしない。
大半は個人の人権を侵害し、国家の統治すら危うくする。

もちろん人を幸福にする「本物の道徳」は存在するが、上記したものはすべて「偽道徳」である。

私も長い間この「偽道徳」を信じて行動し不幸になり死にかけたこともある。

「偽道徳」は全社会的にも放棄すべきだし、このような嘘を堂々と教育の現場で教える者には抗議すべきだ。

「偽道徳」についてはブログ議事一つでは語りきれない。
何度も書くことになると思う。


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