企業の雇用規制は強化され社会保障負担は軽減されるべき

2019年2月6日水曜日

雇用 社会保障 政治

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近年、企業の雇用規制や社会保障負担などが様々な変更が加えられている。
最低賃金は引き上げを繰り返し、残業規制・同一労働同一賃金などの雇用規制も強化され、雇用保険や厚生年金などの負担も重くなってきている。
SNSなどで企業経営者の声を拾うと「解雇規制を緩和しろ」「社会保障負担が重すぎる」などの意見を良く聞くようになった。
ただ企業の要求のままに規制を緩和していけばデフレ期のブラック企業などを見れば分かるように、労働者の権利や健康や家庭は破壊され子供は生まれなくなり、消費者は購買力を失い、企業の商品は売れなくなり、国家は経済的に弱体化する。
危険な隣国から国を守ることもできなくなる。
では企業と行政・労働者の関係、雇用規制と社会保障の負担はどのように有るべきなのだろうか。
それを考えてみたい。

法人・国家・政府などの亜人格の存在目的は一貫していなければならない

国家・政府・法人(会社・組合など)のことを亜人格と呼ぶ。
人類は社会性動物として自然界の生存競争を勝ち抜いてきた種族であり、近代国家に代表されるように社会システムを高度に発達させて種族としての力を強化してきた。
亜人格というのもその社会システムを強化する手段の一つであり、単一の目的の為に人が共同作業をする為のシステムである。
共同作業が目的で亜人格が存在しているのだから亜人格の存在目的は単一で矛盾していてはならない。
国家という亜人格の存在目的は「国民の生命と財産を守る為」である。
政府は国家の運営と経営の為に存在している。
法人は様々な目的別に設立される。
法人の中でも企業は「利益を追求する為」に存在している。
法人の中の労働組合は「労働者の利益の分配を要求し経営者と交渉する為」に存在している。
良く誤解されるが労働組合は経営者に法律を守らせるのが役割では無い。
経営者に法律を守らせるのは行政(政府・自治体)の役割である。
なぜなら行政の役割には「国民の財産を守る」のが存在目的なので国民の中での不当な搾取は禁じ取り締まるのが仕事だからだ。

亜人格は共同作業の為に存在する為、その存在理由は一貫していて矛盾の無いものが必要だ。
現在の日本の亜人格の中で法人(企業・組合)の存在理由は不明瞭なものになっている。

社会保障は企業の役割と矛盾する

戦後の日本では企業は終身雇用と年功序列によって労働者の社会保障に一定の責任を担ってきた。
労働者側も終身雇用の対価として「忠誠心」を企業に提供し労働者の権利を積極的には行使せずサービス残業などに応じてきた。
しかしこれは昔、財政力の無かった政府が十分に国民の社会保障を担うことができなかった時代に、社会保障の一部を企業に依存する形で、国の社会保障体制を形成してきた名残である。

本来は企業は利益を追求する為だけに存在するのであり、社会保障の為に存在しているわけではない。
社会保障と雇用に企業が一部の責任を持つ現在の社会保障体制は「亜人格の存在目的が矛盾している」状態にある。

社会保障は本来行政の仕事

国家と政府は「国民の生命と財産を守る」為に存在しているので国民の社会保障に責任を担うのは行政の役割である。
他の亜人格の仕事ではない。
企業が社会保障に一定の責任を担っている現在の体制は行政と企業のそれぞれの役割が不明確で結果的にブラック企業のような「無責任」を生み出しやすい体制になっている。

社会保険料を社会保障財源とするするな、一般会計を財源にすべき

社会保障財源は現在、年金も健康保険も雇用保険も企業に半分ほど負担させており、国民にとっても逆進性が高く、企業にとっても労働者にとっても経済的に大きな負担となっている。
国家の経済成長の視点から見ても、消費者の可処分所得を削り経済成長を阻む制度になっている。
社会保障費はもっと税収と通貨発行益などの「一般会計」で負担すべきだろう。

労働者という国民を守るのは行政の仕事

企業は利益を追求する為に存在しているのだから、その存在目的から考えて場合によっては労働者や消費者の利益を侵害し詐欺や恐喝などの法令違反などによって、国民の利益を侵害・搾取する可能性を秘めた存在だと考えるべきである。
誤解の無いように言っておくが「全ての企業が労働者の敵だ」といっているのではなく、企業の亜人格としての存在目的が営利の追求である以上、合理的に考えれば労働者の利益を侵害してでも営利を追求する可能性はある存在なのだ、と言っている。
営利の追求が企業の役割なのだから。

消費者や労働者などの国民の権利や財産を守るのは行政の仕事であり、営利を追求する企業とは対立関係になるのが正しいのだ。

雇用において企業と行政は利害対立していなければならない

企業は営利追求の為に法律ギリギリの利益追求をする。
労働者の賃金などは可能な範囲で引き下げるだろう。
下げすぎると労働者が集まらなくなるので雇用の市場価格に従わざる得ない。
中には不当に法律違反によって賃金を引き下げる者も居て当然だ。
行政は法令違反を取り締まることで、労働者(国民)の権利と利益を守ろうとする。

亜人格の存在目的から考えて、企業は営利を追求し、行政は国民の権利と利益を守るという役割分担から、行政と企業は雇用の側面から対立関係でなければならないのだ。

現在の行政と企業が社会保障や雇用の面から相互依存関係になっている状態は不自然であり不健全なのだ。
ブラック企業や労働法違反の生まれる原因は行政と企業の役割が曖昧な関係になり、結果として互いに無責任になっていることだと思う。

企業は消費者の利益を尊重するのであって労働者の為に存在しているのではない

企業はTPPなど自由貿易の進展により外資との競争激化に晒されており、社会保障や雇用などの営利に逆行する負担を担えなくなってきている。
本来、企業は消費者に対して価値を提供する為に存在しているのだあって、労働者の利益を守る為に存在しているわけではない、ということにもっと自覚的であるべきだ。

だからこそ行政が国民である労働者の権利と利益を守ることにしっかりと責任を担うべきなのだ。

家族的経営は間違っている

そういう意味で従来の終身雇用に支えられた、会社と従業員が家族的な共同体を形成する「家族的経営」やそれを支える「忠誠心」といった価値観は根本的に間違っていると言わざる得ない。
「家族的経営」は企業の「法律を守る」義務を曖昧にし、行政の「国民(労働者)の権利を守る」義務も曖昧にしてしまう。
どちらも「無責任」になってしまう。
企業と行政は法律を挟んで対立的な関係で常に適度に緊張した関係であるべきだ。
今の行政と企業はダラダラとした「仲良し倶楽部」のようになっているが、自由貿易の深化で国民と利益を共有していない外資系企業も沢山参入しているなかで、行政と企業が「仲良し倶楽部」では行政は外資系企業から国民の権利と利益を守れなくなってしまう。

家族的経営は現代に適合しない。完全に時代遅れだ。
行政も態度を改めるべきだ。

経営者と従業員の利害は対立して当たり前

企業の存在目的は「法人の利益の追求」である。
従業員が働く目的は「自己の利益の追求」である。
決して「会社の利益」の為に働いているわけではない。
自己の利益の為に働いている。当たり前のことだ。
会社での労働が自己の利益に叶わなくなったら当然に会社に従わなくなり辞めることになる。

経営者と従業員の利害関係は対立していて当たり前なのだ。
家族的経営という考え方はこの利害関係の対立を曖昧にしてしまう点において有害である。

経営者目線に立つ労働者など利害関係上あり得ない

従業員が経営者が何を考え、その意志を先回りして行動し、会社の利益を拡大することはあり得るし、それによって賃金報酬が増えるのならば合理的行動であり、労働者である自己の利益追求とは矛盾しない。

しかし、良く経営者の一部が「労働者は経営者目線に立って働け」という台詞は、企業と従業員の利害関係は本質的に対立するものだという原理を無視した甘えた意見である。

先の例のように会社の利益に叶う形で自己の利益を追求する選択肢が従業員にあるのは事実だが、逆に会社の利益を侵害する形で自己の利益を追求する選択肢も存在することを忘れてはいけない。

現実社会では中間管理職ほど会社の利益を侵害する形で自己の利益を追求しているものだ。
良く使われるのが「業務情報を意図的に独占して自己の影響力を最大化して利益を独占する」というやり方だ。
多くの従業員には心当たりがあるはずだ、過去にそんな上司の下で働いた経験は誰でもあるはずだ。

経営者目線に立つ労働者など本質的にはあり得ないのだ。

行政は社会保障に責任を持ち、企業に雇用規制を守らせる番人に徹せよ

現在は企業が社会保障コストに固定的負担を強いられている。
雇用を守る責任も中途半端に企業が担っている。
しかし、この体制は「誠実なホワイト企業ほど損」をして「ブラック企業ほど得」をする体制と言わざる得ない。
最低賃金を守らずサービス残業やらせる会社ほど市場競争が有利になってしまう。
誠実な経営者ほど損して競争に負けてしまう。

行政は企業を雇用の面から厳しく監視監督する代りに、雇用については100%の責任を持ち、企業を雇用の責任から解放すべき。
社会保障費も全て一般会計(税収+通貨発行益)負担とし、逆進性の高い社会保障費は廃止の方向へ向かうべきだ。
消費者の購買力を削いでしまうので経済全体にも良くない。

企業は純粋に利益を追求せよ、但し厳格に法律を守って

企業は利益追求に専念し「忠誠心」だの「労働者は経営者目線を持て」だの甘えたことを言わずに合理的経営に専念すべきだし、雇用や社会保障などの制度改革もその線で働きかけるべきだろう。

ちなみに企業からの要望の多い「解雇規制の緩和」は私は反対だ。
現在の労働契約法には「有期雇用」という制度があり雇用の流動化を実現するなら有期雇用制度を採用すれば可能だからだ。
無期雇用においても整理解雇は認められており、必ずしも解雇は不可能では無い。
諸外国と比べても日本の解雇規制は相対的には厳しいものではないと聞く。
「解雇規制の緩和」論は企業の甘えだと思う。

だいたい現在でも労働法違反や偽装請負などの横行している状況のなかでは、まず法律を厳格に守ることから始めるのが筋だ。
規制緩和を要求する前に法律を守れと言いたい。
法律を守った上でそれが難しいと言うのなら、それから規制緩和を要求するべきだろう。
逆は無いわ。

行政と企業の役割分担をもっと明確にすべき

以上まで述べたように、現在の行政と企業の「雇用」と「社会保障」の責任の分担は曖昧なものになっている。
行政と企業の役割分担はもっと明確にしてそれぞれの任務に専念すべきだろう。
そして役割分担を明確にすれば「雇用」と「社会保障」の面において、行政と企業はもっと対立した関係になるべきなのだ。

「なあなあまあまあ」が多すぎるのだ。
従来の日本的な「和の美徳」の過剰は有害と言わざる得ないと思う。
もっと個人と亜人格の存在目的を明確にして法の支配の割合を増やした方が良いと思う。

これが雇用と社会保障に関する私の基本的な考えだ。


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オッサンです。実務経験は Windows環境にて C#,VB.NET ,SQL Server T-SQL,Oracle PL/SQL,PostgreSQL,MariaDB。昔はDelphi,C,C++ など。 趣味はUbuntu,PHP,PostgreSQL,MariaDBかな ?基本無料のやつ。

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