極論(排外主義・反日左翼・ネオリベ)について

2018年8月25日土曜日

政治

t f B! P L
 以前書いた記事「右派か左派かだけではイデオロギーを説明できない時代」
で二次元でイデオロギーを捉える考え方を紹介した。(読み返す必要はない)



 これは別に私の考え方ではなく複数の方々がこの考え方を推奨している。
 私の推奨はその下で紹介している四次元で考える考え方だがこの記事では紹介しない。

 今日はこの二次元図を元に「極論」について語りたい。
 別に人々にこの考え方を強制したいわけでは無く「私はこのように世間の政治思想を捉えています」という説明の為にこの記事を書く。
 なぜこんな記事を書くかと言えば「右派だ左派だ!という時代遅れのカテゴリに強制的に分類されたくない」からだ。現代社会は右か左かだけで単純に分類できる時代では無い。
 たとえば新元号の問題で三つの思想が衝突している。

(A)「制度としての元号は維持していて良いが、ITシステム側の期日までの対応が事実上不可能なので官公庁のITシステム関連業務だけでも皇紀か西暦で運用するべき」
(B)「元号は日本の伝統だから守らなければならない」
(C)「元号も天皇制も廃止して全部西暦にするべきだ」

 (B)の主張は右派(保守派)の主張である。(C)の主張は左派(共産主義・社会主義)の主張だ。左派は「打倒天皇制」を昔から叫んでいた政治勢力なので昔と同じことを主張しているだけだ。左派の打倒天皇制は昔から一般的にはあまり相手にされていない。
 では何故今この話が目立っているかと言えば今上天皇陛下の譲位に即して元号を変更する為だ。陛下は譲位に伴う社会的負担の軽減の為に事前に譲位の御意志を示されたわけだが、それでも広く普及した官公庁のITシステムを全て改修するには時間的に不十分であり、一部のシステムは平成のまま運用。また別のシステムは西暦で運用するという「標準化」を是とするITガバナンスの点から見て最悪の選択がなされるに至った。
 そもそも元号の運用を最初に問題視したのは(A)であって(C)の左派では無い。
 (A)の問題が持ち上がったタイミングでそれに(C)の左派が相乗りしてきて、その(C)の意見に(B)の右派が反論しているの現在の状況なのだ。
 右派と一般人(非情技)は(A)と(C)の区別が付いていない。本来の議論の中心的命題は(A)であるにも関わらず主に(C)と議論している。
 このような事態になるのも人々の大半が「右か左か」の一次元で考えているからであり縦の座標が見えていないからだ。
 (B)は右上の「右派・共同体主義」の主張であり、(C)は「左派・共同体主義」の主張である。大本の(A)は左右に関係なく「自由主義(近代合理主義・新自由主義・リバタリアニズム)」の主張である。

 今、(A)(B)(C)のどれが正しいかを論じるつもりは無い。

 ただ元号問題のような単純な問題でさえ左右の一次元では捉えられなくなっていると言いたいだけだ。

代表的なイデオロギーは三つに整理できる


 二次元で考える政治思想も代表的なイデオロギーは三つに整理できると考えている。
 その三つは「保守派」「リベラリズム」「近代合理主義」の三つである。
 これらの二次元座標での位置づけはそれぞれ次のようになる。


 保守派 → 右上。保守・共同体主義。
 リベラリズム → 左上。リベラル・共同体主義。
 近代合理主義 → 下中央。左右中央の自由主義。

 現在の政治はこの三大勢力の綱引きにより成り立っていると考えている。
 私はこの「三竦み」状態は悪い物では無いと考えており、むしろ健全な「中庸論」の醸成される土壌だと思っている。

 但し、それは「極論」を除く。

「極論」の捉え方


 私の「極論」の定義は簡単だ。「他の政治思想を無条件に否定するもの」「政治的に排他的で中庸に至ることが無いモノ」が「極論」だ。別の言葉で言えば「思想的排外主義」とも言える。
 現在「極論」に該当するモノは先に説明した「保守派」「リベラリズム」「近代合理主義」の三つ全てにある。
 「保守派」の極論が「排外主義」、「朝鮮人は日本から出て行け」とか「中国人は出て行け」とか騒いでいる人々がいるが、彼らは保守派の中でも顰蹙を買っている。また、他の政治的立場と強調する意思も感じられない。

 「リベラリズム」の中の極論が「反日左翼」てある。昔は「反日左翼」の方が主流だったと思うがネットメディアを見る限り既に主流から外れていると私は思っている。少なくとも今後増えていく見込みは無い。経済政策を重んじるリベラリストの中では「反日左翼」に対する批判の声も増えてきている。いずれ両者は分裂すると思っている。既に分裂しているかも知れない。今の所、本物のリベラリストの政治政党が存在しないので全体の規模が把握できない。
 だいたい反日左翼の思想は「共産主義・社会主義」であり全然リベラルでは無い。その証拠に彼らは「言論の自由」を踏み潰そうとする。ハッキリ言って民主主義の敵だと思う。
 また現実的に考えて自衛隊を「人殺し」呼ばわりするような連中が国民の安全を真面目に考えていると思うか? 考えるまでも無いだろう。

 「近代合理主義」の中の極論が「ネオリベ(市場原理主義)」である。近代合理主義とネオリベを区別する尺度は割と簡単である。「経済学を肯定するか否か」で区別できる。ネオリベはだいたい「緊縮財政論者」である。「生産性」を上げることに不必要に取り組みやたらにコストダウンと予算削減をやりたがるが、その実体は労働者に給料払いたくない経営者の屁理屈だ。
 国家財政的に見れば今は通貨の価値が高騰しているデフレなのだから通貨を発行して通貨価値を下げれば良い。通貨を発行すれば通貨発行益を政府の予算に組み込めるのだから税収が不足しても政府予算は確保できるはずである。
 ネオリベは意図的にこの事実を無視する。何か既得権があるのかもしれない。私は彼らをマトモな思考の人間ではないと思っている。
 保守派に対してもリベラリストに対しても排他的に見える。極端なリバタリアニズムで国家や国益も否定する傾向にある。「企業が儲かれば良い」的なビジネス原理主義的な思想がよく見られる。社会は企業だけで成り立っているわけではない。


 左右下に関係なく、極論は対立する政治思想と議論を戦わせることも無く、持論を一方的に繰り返し押しつけてくる。非常に暴力的ですらある。
 相手の反論を無視して「無かったこと」にする。
 多数派の圧力で反対派を封殺したり、フェイクニュースを流布して反対派を侮辱し名誉を傷つけたりする。裏から手を回して言論の手段を奪い取ったりもする。
 相手の意見を批判するのでは無く、相手の人格を攻撃するところもよく似ている。
 イデオロギーの正当性以前にその政治的手段が民主主義社会を維持する上で非常に有害である。
 「保守派」「リベラリズム」「近代合理主義」の政治的立場に関係なく「極論」は排除した方が良い。

議論と中庸の重要性


 「保守派」「リベラリズム」「近代合理主義」はどれが正しくどれが間違っているとは決められない。
 むしろどれもある程度正しく、どれも間違った部分がある、と考える。
 そういう意味で大事なのはイデオロギーではなく政治的結論を導き出すシステムの方ではないかと考える。
 大事なのは三者が公正且つ論理的な議論を戦わせ、その結果が政治に反映される仕組みの方だろう。

 極論はその仕組みを破壊してでも持論を押し通す点で「本末転倒」であり、明らかに「有害」である。イデオロギーは関係ない。

 最近の政治的言論空間を見ていると「議論により政治的結論を導き出す仕組み」を破壊しようとする政治勢力ばかり目に付く。
 そこにはマスメディアも含まれる。
 マスメディアの役割は終わりを迎えそうなので別に改革改善する必要は無いと思う。
 ただ、ネットにもそういう勢力が目立つので、良くない状況だと思う。

 状況改善の為にも「極論」というものに対する「認識」を持つことが大事だと考えている。

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オッサンです。実務経験は Windows環境にて C#,VB.NET ,SQL Server T-SQL,Oracle PL/SQL,PostgreSQL,MariaDB。昔はDelphi,C,C++ など。 趣味はUbuntu,PHP,PostgreSQL,MariaDBかな ?基本無料のやつ。

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